播州で一番の有名人、俳優北原雅樹さんにインタビューしてきた!(後編)
みなさんこんばんはとめきちです。
前回掲載しました「播州で一番の有名人、俳優北原雅樹さんにインタビューしてきた!(前編)」はたくさんの方に好評頂きまして本当にありがとうございます。改めて北原さんの偉大さを感じました。まだの方は是非こちらをご覧下さい↓
http://plus.himeji.link/entry/20160530/1464614599
さて後編!
デビューから一躍トップスターになった北原さん、バラエティー番組出演の傍ら役者としての才能も開花します。1995年に放送されたテレビドラマ「未成年」では、いしだ壱成さん、香取慎吾さん、反町隆史さん、河相我聞さん、谷原章介さん、桜井幸子さん、浜崎あゆみさん、遠野凪子さんなどその後のドラマ界、芸能界を牽引するメンバーと共演しました。
ーバラエティーでの成功の傍ら、何故役者業をやろうと思ったのですか?ー
これも実は事務所のおかげなんですね。もともと中学時代も演劇を少しやって興味があったので迷わずに挑戦しました。演じる事は漫才と同じぐらいやりたかった事なんです。同世代の役者と出来た事は本当に大きな経験となりました。ドラマ「未成年」に出させて頂いた事で「北原雅樹」として多くの人に知って頂けるきっかけとなりましたね。
ー当時のメンバーとは今でも交流はあるんですか?ー
遠野凪子さんとは「未成年」を振り返るバラティー番組でもご一緒しましたし、(いしだ)壱成君とは今年「午前5時47分の時計台」という阪神淡路大震災をテーマとした舞台で久々に再会しました。
後は僕の心の師匠うか兄(宇梶剛士さん)。うか兄はこのドラマで共演させて頂いて以降、その後も長編ドラマ「忠臣蔵」などでも共演させていただきましたが、プライベートでもずっと仲良くして頂いてて、今でも毎年うか兄主催の花見にも声をかけて頂くんです(笑)もう本当に心の師匠です。
その後も役者として「星の金貨(1995年)」、「竜馬におまかせ!(1996年)」、「翔太の寿司(1996年)」「天使にKISS(1997年)」「バージンロード(1997年)」、「連続テレビ小説 天うらら(1998年)」など数多くのドラマに出演されました。
2004年にはタレントの杉本真紀さんと結婚。2005年には「グレートチキンパワーズ」のコンビを解散、それからは俳優業に専念しました。そして2006年には待望の第一子が誕生。「家族を支えて行く」という大きな責任がのしかかってきました。
ー意外と知られていない事実ですが、実は2005年くらいからサラリーマンとしても働いていたんですね?ー
独身の間ならまだしも、結婚して、子供が出来て、自分の好きな事だけではいけないと感じましたね。最初は知り合いのデザイン会社で働いていてその後も紹介でいくつか仕事をやりました。東京のデザイン会社時代はまだ役者業もやっていたので、2足の草鞋を履く事で会社にも度々迷惑をかけてしまって。最終的には「デザイナーとして専属で働いてほしい」と言われたのですが、その時はまだ俳優を続けたかった事もあり、泣く泣く辞めることになりました。しばらく俳優に専念したのですが、2年たって色々あって、子育てにちょうどいいなと思っていた「加古川に引っ越そう」と妻に相談したのです。
ーもう東京には未練は無かったんですか?ー
未練が無い事も無いですが。でも阪神・淡路大震災の後に実家が移り代わった加古川は東京に住んでいる時も何度も帰省していましたし、僕が生まれ育った豊中(大阪府豊中市)にどこか雰囲気が似ていたんです。家族も賛成してくれて安心して移り住む事が出来ました。
ーその後3年間のサラリーマン生活を経て2012年よりタレント活動を再開しました。何がきっかけだったんですか?ー
加古川に移り住んでからも東京で経験があったのでデザイン会社で働きました。だから僕、チラシのデザインやホームページも自分で出来るんです(笑)この頃の経験が今では随分役に立ってますね。その後もいくつかの仕事を経験したのですが、リストラされた後の求職活動中にハローワークの職員さんから「芸能人の長い経歴を生かさないのはもったいない」と指摘された事がきっかけとなりました。
ーハローワークの職員の方に感謝ですねぇ(笑)ー
ほんと感謝です。僕自身「わかっているのに進み切れない」所があるので、後押しをしてもらって前に進むことが出来ました。
2012年からは加古川「バンバンテレビ」で妻の真紀さんと夫婦で司会を務める番組がスタート。これを皮切りに本格的な活動を再開。関西一円の芸能活動を始めるとともに、NPO法人「生涯学習サポート兵庫」のあそびクリエイターとしての活動も開始。2015年にはアドリブ劇を公演する劇団「即劇遊団あドり部」を結成し最も力を入れている。
ー今後の展望はいかがですか?ー
漫才がやりたくて入った芸能界ですが、今はもう「漫才がやりたい」なんて恐れ多くて言えません(笑)これからは即劇遊団あドり部や子育て支援活動もそうですが、自分の役者経験を踏まえて、教育分野も含めた「教える・伝える」という事をもっとやって行きたいですね。
ー坂上忍さんの様な子役スクールとかはどうですか?ー
もちろん需要があればなのですが、例えば専門学校や大学など本格的に役者を目指す人達のお手伝いをしたりとか、企業研修の中でもアドリブ劇のコミュニケーション術を活かせられたら嬉しいですね。
そんな折嬉しいニュースが飛び込んできた。
地域での活動が評価され地元加古川の親善大使に夫妻で選ばれたのだ!
ー最後に北原さんからこの「ええやん姫路」の読者の方にメッセージを下さい!ー
僕が住んでいるのは加古川ですが、姫路にも何度も行ってますし大好きな街です。即劇遊団あドり部の公演も1度やらせていただきました。もちろん今後もやります!
「ええやん姫路」は情報がいっぱいで役立つし楽しいですね!姫路も加古川も同じ播州、これからも「ええやん姫路」と一緒に更にこの播州を盛り上げて行きますよー!
よいしょ~!!(※北原さんのもちネタです)
本当に一つ一つの質問に掲載しきれないぐらいの、たくさんの思いを語って下さった北原さん。地元を盛り上げたいという気持ちが本当に存分に伝わって来ました。
これからも「ええやん北原」さんを応援していきます!
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