播州で一番の有名人、俳優北原雅樹さんにインタビューしてきた!(前編)
みなさんこんにちは、とめきちです。
今日は「ええやん姫路プラススペシャル企画」と題しまして、いつも仲良くして頂いている播州で一番の有名人、加古川在住の俳優北原雅樹さんにインタビューしてきました。
現在は母方の地元加古川に家族で拠点を移し、播州一円で活躍する北原さん。そんな北原さんの過去から現在に至るまでの経緯と素顔を探ってみました。
ー北原さんは1990年代に人気を博した「天才たけしの元気が出るテレビ」の「お笑い甲子園」というコーナーで二人組のユニットで優秀賞を受賞し、その後「グレートチキンパワーズ」としてデビューしました。「グレチキ」は当時誰もが知っている存在でしたが、どうしてこの番組に出ようと思ったのですか?ー
もともとお笑いが大好きで、中学を出たら吉本興業の養成所NSCに行こうと思っていました。でも母との約束で高校受験はして、受かったら行ってみようって事で高校には行ったのですが、まぁまぁ勉強やスポーツにに熱心な学校で。僕は部活もやってなかったので、いつも何か打ち込める事を探してました。中学時代は生徒会長やったり、文化祭で漫才やったり、刺激の多い毎日だったのでとにかくその温度差が退屈になってましたね。あと、やっぱりお笑いをやる事が諦められなくて。
ーでオーディションを受けたんですか?ー
高校2年生のときに、突然漫才をやらせてって言ってきたのが後の元相方(渡辺 慶さん)だったんです。それで何回か放課後に漫才の練習をしていたら、僕らを応援してくれていた別の友達が「お笑い甲子園」のコーナーに応募したんです。まるでマンガみたいな話ですが、本当に知らん間に応募してくれてて。
ーそれから一気にスターに登り詰めたましたよね?ー
あまり知られていない事実ですが、初めて行ったオーディションは実は落ちてしまって。それで僕たちは今後の為に「何を改善したらいいですか?」と審査員のディレクターさんに聞きに行ったんです。そしたらディレクターさんがそれを評価して下さって。次も(僕たちの地元)大阪でまたオーディションするし、全国大会も考えているから「もう一度受けに来い」っと言っていただいたんです。
ーでも落ちた原因を探るって事は、当たり前の様で中々出来ない事ですよね?ー
ここでおめおめ帰ったら何も得られないと。「何がダメだったのか?」という事だけでもせめて聞きたくて行ったんです。でも本当に必死でしたね。
で、今度は全国大会を大阪でやるって事でせっかくもらったチャンスなので、当時路上漫才を見にきてくれたお客さんに「全国大会の公開収録も是非見にきてほしい」とお願いしたんです。少しずつ僕たちの事を知ってくれる人も増えていたので、なんと収録当日には200人ものファンの方が集まってくれました。おかげで会場は完全に僕ら押しの空気になってましたね。
ーそれで芸能界へ?ー
関西大会で初めて13秒だけ全国放送のテレビに出られて、全国大会ではグランプリでは無かったのですが、優秀賞を頂いたんです。もうとにかくこの番組に出られたことはめちゃくちゃ嬉しかったですね。
元気が出るテレビも「ダンス甲子園」に続くコーナーに育てようと頑張っていて。そんな時、とんねるずさんが独立したばかりで、とんねるずに続く人材を探していた「オフィスAtoZ」の社長さんが僕たちの事を気に入って下さって所属が決まったんです。
ー本当にシンデレラストーリーですねぇ、本当にグレチキ旋風が起きましたもんねぇー
もう自分たちは何がなんだか解らなかったですねぇ。でも事務所の方が凄く力を入れて下さって。本当に事務所の力が大きかったんだと思います。
今の10代、20代の方はご存知無いかもしれませんが、テレビはもちろんラジオ、CM、歌、バラエティー番組と、見ない日が無いぐらい大活躍だったグレートチキンパワーズ。
その後北原さんは、バラエティータレントから見事に俳優業へと転身していきます。この続きはまた次回、お楽しみに。
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